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通商の良港(清朝時代の高雄港)

  • 台湾の対外貿易の開放
    1860年、北京条約により安平港と淡水港を、その後に基隆港と打狗港を開港しました。
  • 英国領事館
    1863年、打狗港が開港されると正式に税関が設置され、ロバート・スウィンホー氏が第一代駐台領事に就任しました。

日本統治時代の高雄港

  • 港湾は水深が浅く、港口には岩礁、港外には浅瀬があったため、日本による台湾領有当初から港の建設が議論されました。
  • 1899年 民政長官後藤新平とともに台湾南部を訪れた技師の川上浩二郎は、打狗港の地形の状況を調査し、改良の必要性を深く感じてその方法を提案、1908年築港工事が始まりました。1910年には高雄港の貨物取扱量は基隆港を超えました。
  • 1908年~1912年 第一期築港工事(哈瑪星)
  • 1912年~1937年 第二期築港工事(蓬莱商港、塩埕埔、苓雅寮、戯獅甲)
  • 1936年 築港工事のほか、銃後の軍需産業振興の必要もあった高雄州は都市計画を発表。戯獅甲を工業地域とし、「台湾肥料株式会社高雄工場」、「日本アルミニウム株式会社高雄工場」、「南日本化学工業株式会社高雄工場」、「台湾鉄工所拡張工場」といった軍需工場が建設されました。
  • 1937年 第三期築港工事(太平洋戦争の勃発による資金不足で中止)

戦後初期の高雄港

  • 戦後初期の高雄港の風景は寂しいものでした。重要な施設が破壊され、港には170隻余りの船が沈没し、300トン以下の船がなんとか入港できる程度でした。
  • 1945年~1952年 高雄港務局が設立され、全力を挙げて復旧と既存の埠頭の改良工事を行いました。
  • 1958年~1970年 拡張工事12か年計画で、中島新港区等の埋立地534haが生まれました。
  • 1967年~1975年 第二港口が開港しました。

経済発展計画

  • 国民政府は来台後に戯獅甲工業区の化学工場や金属機械工場を接収し、台湾アルミニウム業公司・台湾アルカリ業公司・台湾肥料公司・台湾機械公司といった戦後高雄の工業発展を牽引する「国営事業」を展開しました。
  • 1953年 行政院経済安定委員会による第1期経済発展4カ年計画で、高雄は工業建設の重点地域に指定され、このことが合板業や船舶解体業の発展の契機となりました。

中島輸出加工区

  • 浚渫工事の土砂で埋め立て造成された中島半島に、1966年12月3日、「貿易の拡大、工業投資の誘致、最新技術の導入、就業機会の増加」を目標に、世界初の自由貿易区、免税区、工業団地等の機能を持つ輸出加工区が設立されました。
  • 高雄輸出加工区は、経済特区を作り国と地域の経済発展を牽引させるもので、その成功は経済成長や外貨をもたらしたのみならず、「台湾の奇跡」と呼ばれる経済発展の基礎を築きました。その手法は、最良のモデルとして多くの開発途上国が争って模倣するところとなりました。

生まれ変わった旧港区

  • 1999年は高雄港発展の転換点となりました。この年、高雄港のコンテナ取扱量は香港・シンガポールに次ぎ世界第3位でした。しかし、世界の船舶は大型化をたどり、一部港湾区域は大型船舶の停泊に対応しきれなくなると同時に、従来の臨港型産業も経済の転換による新たなニーズに十分応えられなくなっていきました。そのため、工業港や生産拠点の中心は次第に南方の新港へと移行し、旧港湾区は「人」をメインにした暮らしの中心および観光港湾へと姿を変えたのです。